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長尺映画では夢オチにはしてはいけない理由

長編映画の最後を夢オチ(夢落ち)にしてはいけないのかについての記事です。

そもそも夢オチ(夢落ち)とは

夢オチとは、映画の最後にこのストーリーはすべて夢でしたというオチをつけることです。映画業界でもこのような手法は使われています。これには、賛否両論ありますが、筆者の考えとしては、夢オチは映画の最後としてあまり得策ではないと思う理由があります。

映画の世界はフィクションというのが大前提

映画やアニメを見るときは私たちは、架空のストーリーを見ています。でも、心のどこかでこんなストーリーが本当にあったら良いなとそう思っているのではないでしょうか。それをある意味、制作側から否定されてしまうのが夢オチではないでしょうか。私たちが信じようとしている世界観が制作人側から否定されてしますのは、ショックな出来事です。視聴者は時としてバッドエンドも受け入れるつもりですが、夢オチに関しては「ちょっと待て」と厳しい目を向ける方が多いのではないでしょうか。

なぜ長編映画での夢オチがダメ?

長編映画の定義は、一般的には90分以上映画だと言えます。90分という尺は映画館での一日上映回数的にも回転させやすいものです。最近は、3時間ものの大作映画も出てきたりと映画の適切な尺は改めて何だろうと考えさせられています。話が少しそれましたが、筆者が思う長編映画での夢オチがダメな理由は、映画の尺が長いものであるほど、夢オチが認められないものになるからです。「2,3時間見てきた映画の最後が夢オチかよ」という視聴者の感情はもはや憤りを通り越して、呆れになることもあります。もちろん、それさえも認められるストーリー構成であれば問題ないかもしれませんが、私の意見としては、多くの視聴者の反感を買うかもしれない夢オチのメリットは理解し難いと思っています。

短編映画では夢オチもOK

短編映画では、夢オチを入れてください。いえ、入れてくださいということもないですが、これが効果的に働くストーリーがいくつでも考えることができます。5分見てきた映像のエンディングがはちゃめちゃだとしても、視聴者はそれを受け入れることができる可能性が高いです。

まとめると

夢オチというのは古くから使われている表現技能のひとつです。これを長編映画で視聴者が受け入れられる形で描くのは、至難の技とも言えるでしょう。映像制作者・映像クリエーターは自分の表現したい世界を自由に表現できますが、自分の映像の世界観を伝える努力はするべきだと思っています。夢オチを使用するのであれば、それがストーリー上で理にかなっており、腑に落ちるエンディングにしなければいけません。

PS.夢オチはなかなか使い所が難しいですよね・・

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